2007年03月01日

物語の対称性

FFのスタッフは、物語の対称性にずいぶんとこだわりがあるようです。

有名なものでは、セフィロスとクラウド。スタッフが公言しています。

他にも色々ありまして…。

FF7

ノルズポル

始まりの地であり終わりの地である、ノルズポル。FF7という劇の幕開けであり、悲劇第2章の幕開けであり、第3章へとつながる。余談だが、北極を意味する英語はノースポル。しかし、英語表記ではNorth PoleではなくKnowlespole。曲解すれば、忘らるる果となる。

約束は、ニブルヘイムで。

いざという時にティファを助けるクラウドが約束したのは、ニブルヘイム。

ピンチのティファをクラウドが助けたのは、ニブルヘイム。

FF7という物語

オープニングムービーでは、星、そしてエアリスが映る。

エンディングムービーでは、星、そしてエアリスが映る。

エアリスとクラウドの物語

(FF7の)戦闘で負傷したクラウドが教会に落下してきたことが、エアリスとの物語の始まり。

(FF7ACの)戦闘で負傷したクラウドが教会に落下してきたことが、エアリスとの物語の区切り。

FF8

母の夭逝

スコールの母レインは彼を産んだ時に、リノアの母ジュリアは交通事故で、夭逝。

父の立場

スコールの父ラグナは、東の大国、エスタ大統領。

リノアの父カーウェイは、西の大国、軍国主義国家ガルバディア軍大佐。

ラグナとジュリア

共に、生死に関わる大事故に。

ファミリーネーム

スコールもリノアも、本来のファミリーネームを捨てている。

スコールとリノアの物語

オープニング間もなくガーデンで始まり、エンディングのガーデンで一区切り。

悲劇

石の家での魔女の力の継承こそが劇の幕開けであり、終わりでもある。

親子二代

ラグナの物語は、スコールの物語へと。

FF10

エボンジュ

シンによってスピラに連れられた人は、シンの消滅と共に元に戻る。 言い換えるなら、エボンジュによって創られ、エボンジュによって現実世界に引き出された夢の住人は、 エボンジュの消滅と共に覚めぬ夢へと帰ることに。

水の中のティーダ

オープニング・エンディング共に、ティーダは水の中で目覚める。

対称性といえば、恋人同士でありながら敵対する家柄に生まれた設定の某映画。某映画のヒロインの背中には、羽の模型が飾られていました。また、リノアの母ジュリアの愛称はジュリエットですね。このことを踏まえると、FF8のオープニングに挿入されているサイファーとスコールの戦闘も納得がいくというもの。

本題に戻ると、何のために対象性を重んじるのでしょう。FF8やFF10をリプレイした場合、核を知っている者へと視点が変わります。 FF8の場合はエルオーネやクレイマー視点に、FF10の場合はアーロン視点に。 つまり、両作品共にリプレイを想定して作られているということ。FF7ACでは、開発者がその事を明らかにしています。 DVDで繰り返し見るということを意識して作っています。そこが映画との違いですね。

リプレイする場合、エンディングの次にオープニングを見ることとなります。 物語の対称性がある場合、エンディングとオープニングの関係を自然と理解することに。

これこそが、ゲームの表現力であり、映画との違いの一例ではないでしょうか。 ゲームは、プレイヤーに選択権を渡すことができる。劇の中の3次元空間、そして時間軸までも。 小説は以前のシーンを読み直す事が可能ですが、テキスト以外の表現はなければ、意図的に一部分を正確に読み飛ばすことも容易ではありません。 映画は、映像も音声もあるものの、観客が以前のシーンに戻ることもできなければ、キャラクターを移動させることもできません。

ゲームの特性に注目することで、新たなものを発見できるかもしれません。

結論が妙に浮いているのは、結論を考えずに話を書いたからではありません。本当です。多分。

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